ベイカーkonのハートに火を灯す日記

”今”を切り取り、思いの丈を書いてます

人生にリハーサルなんてない

【人生にリハーサルなんてない】

フェイスブックで仲間がシェアしていた記事からの言葉です。

末期がんが見つかり、余命いくばくもない医師の残した言葉から。

多くの患者の命を救ってきた医師が、逆の立場になって、命の尊さと儚さを知る。

医師はまだ31歳だった。結婚をして子供が一人。奥さんのお腹に2番目の子が宿る。

残された家族のことを思うと気がおかしくなってしまう。それでも覚悟を決め、出来うる限りのことをする。彼には明日は残されていなかった。

こんな遺書を残していた、、、

『ありがとう、みなさん』

彼の2人の子供に、

「心の優しい、思いやりのある子に育ってほしい」と書き、

「私は今、熱がある。咳きこんで苦しい。私はあと、いくらもお前たちのそばにいてあげることができない。だから、お前たちが倒れても手を貸してあげることができない。お前たちは、倒れても、倒れても、自分の力で立ち上がるんだ。お前たちが、いつまでも、いつまでも、幸せでありますように。雪の降る夜に父より」

そしてまた彼は、こんな遺書も残していた。

「ようやくパパと言えるようになった娘と、まだお腹にいるふたりめの子供を思うとき、胸が砕けそうになります。這ってでももう一度と思うのです。しかし、私の力では、どうすることもできない。肺への転移を知った時に覚悟はしていたものの、私の背中は一瞬凍りつきました。その転移巣はひとつやふたつだけではないのです。

レントゲン室を出る時、私は決心していました。

 

歩けるところまで歩いていこう。

 

その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、私は不思議な光景を見ていました。

世の中がとても明るいのです。

スーパーへ来る買い物客が輝いて見える。

走り回る子供たちが輝いて見える。

犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電信柱が、輝いて見えるのです。

アパートへ戻って見た妻もまた、手をあわせたいほど尊く見えました。」

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

「郷里に戻ると父が、毎朝近くの神社へ私のために、参拝してくれていることを知りました。

友人の一人は、山深いところにある泉の水を汲み、長い道程を担いできてくれました。

『これは霊泉の水で、どんな病気にでも効くと言われている。俺はお前に何もしてやれなくて悲しいので、お前は笑うかもしれないが、これを担いできた。』

彼はそう言って、一斗(18リットル)以上もありそうな量の水を置いてゆきました。

また、私が咳きこみ、苦しそうにしていると、何も分らぬ娘までが、私の背中をさすりに来てくれるのです。

みんなが私の荷物を担ぎあげてくれる。

ありがたいことだと、感謝せずにはいられません。皆さん、どうもありがとう。

這ってでももう一度戻って、残してきた仕事をしたいという気持ちは強いのですが、咳きこむたびに咽喉をふるわせて出てくる血液を見ていると、もはやこれまでかとの心境になります。どうも、ありがとう。」

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

日一日と悪化する病気に、もう猶予はない。ここまでくれば、いつ机に向かう事が出来なくなるかもしれない。

とにかく『あとがき』を書くことにした。

 

「頼みがあります。もし私が死にましたら、残るふたりの子供たちを、どうかよろしくお願いします。私が命の限界を知ったとき、私にはまだひとりしか子供はありませんでした。そのとき、私はなんとしても、もうひとり子供が欲しいと思ったのです。それは希望というよりは、むしろ祈りのようなものでした。(中略)祈りは通じ、ふたりめの子供が妻の胎内に宿ったのです。妻はこれはあなたの執念の子ね、と言って笑いましたが、私は妻と子を、母ひとり子ひとりにしたくなかったのです。

3人が力を合わせれば、たとえ私がいなくても生き抜いていける。妻が艱難に出逢うことがあっても、子供たちふたりが心を合わせれば、細い体の妻をきっと助けてくれる。そう信じています。」

そして彼の死後、「誰よりも悲しむであろう、父母を慰めてやって下さい。」と頼み、

「ありがとう、みなさん、世の中で死ぬ前にこれだけ言いたいことを言い、それを聞いてもらえる人は滅多にいません。その点私は幸せです。ありがとう、みなさん。人の心はいいものですね。思いやりと思いやり。それらが重なりあう波間に、私は幸福に漂い、眠りにつこうとしています。幸せです。ありがとう、みなさん、ほんとに、ありがとう。」

彼は最後の最後まで『ありがとう』をいい続けた。

 

 

私の仲間が心を動かされてシェアした記事。

それで自分も心が震わせられた。

もしも同じ境遇になったとして、ここまで考えられないだろう。

なんとなく明日はあると思って生きるのと、

明日はこないかもしれないと生きるのとでは、時間の深度が完全にちがう。

 

この記事は最後にこのように締められていた、、、

 

「生きるということは、一度しかない。

リハーサルなんか、ありはしない。

たった一度だけである。

どうか『生きること』を大事にしてほしい。

 

 

立春の日に。

 

f:id:concyan10:20210331215416p:plain

 

写真は先日の、スーパーブルーブラットムーン